俺は今までのメキシコを振り返る
よく来たな。俺は、ジョン=スパイラル・グッドスターだ。今日は、ざんねんだが特に目新しい話はない。その代わり俺は、今までの記事とかを振り返る。前回の記事で「あと2回」と言ったが、今回はそうしゅうへんでカウント外なので、あんしんしていい。
俺がメキシコについて知ったのは、ミスター・逆噴射聡一郎の記事だ。ミスター・逆噴射聡一郎はニンジャスレイヤーという小説をほんやくしているチームの友だちのコラムニストで、ドリトスを食べたてドンタコスを燃やしてバンデラスの話とかをしているタフガイだ。
俺とは赤の他人だが、最初に俺は彼の文章を読んだとき(ドリトスかクナイの話だった)、衝撃が走った。なんてスゴイ文章なんだ。俺は、この力が欲しい。そう思った。それはあの日、親のお下がりのノートPCでキノコ・ナスのゲームをプレイした時と言わば同じ衝撃だった。
その時から俺は、世界がメキシコであると気付いた。そして、文章力を磨いた。
結果として、俺はこの文体を身に着けた。ついでに小説の賞とかも取ったが、その話は今はいい。だが、この文体は所詮コピーだ。ミスター・逆噴射聡一郎の文体を複写して、誰にでも使えるよう調整したものだ。FGOの連載が終わった後、俺はこの文体についての記事も書くかもしれない。
俺が使う文体を、俺は「逆噴射マイルド」と勝手に名付けている。これは、言わば擬似的なメキシコ……つまりは、合成化学メキシコだ。そしてこれは、誰にでも使える、ただの技術だ。
俺がFGOを始めたのは、2015年8がつ9日のことだ。この頃のFGOは、今とはまったく別物だった。俺達はバーサーカーで敵を殴るのが正義だと思っていたし、バスターブレイブチェイン以外にきょうみは無かった。回避や無敵スキルを持っていないヤツは雑魚だと思っていたし、ジャンヌ・ダルクは神だった。そして、ナチョス屋の親父はまだ開業すらしていなかった。
それから、1年半が過ぎた。その間、FGOでは色々なことがあった。2人しか居なかったアーサー王も、今では野球ができるくらいにまで増えた。そして俺は、ある日気付いた。FGOは、メキシコなのだと。
そして、この記事が生まれた。
きほん的には、この記事にはFGO初期に必要なことが概ね詰まっている。だから、俺は続きは書かないつもりだった。
しかし、フレンドについては不足だと思ったので、次の記事を書き。
サーヴァントの運用法について不足だと思ったので、確実に手に入るダビデについて付け足し。
そしてイベントについて触れ忘れたので、もう一本記事を書いた。
俺は最初は、FGOとニンジャスレイヤーの両方を知っている奴らが見て、クスっと笑えればいいと思っていた(じつはFGOのコアプレイヤーにはニンジャヘッズがたくさん紛れ込んでいる)。それだけのブロゴ記事のはずだった。しかし、記事のリツイートンは思いの外伸び続けた。「ニンジャスレイヤーには三億人読者が居るからこういうこともあるさ」と鷹揚に構えていた俺も、だんだん放っておけなくなった。
そして、俺がTwitterで調べていくと、どうもオリジナルの逆噴射文体を知らないFGOプレイヤーが記事を呼んでいることを知った。普段月間1000PVくらいの俺のブロゴは、時々だがかなり高い数字になりはじめていた。
「もう二本だけ」そのつもりで、俺はアンデルセンとゲオルギウスの紹介記事を書くつもりだった。ブロゴの紹介ツイートがバズったので、3月7日の俺のブロゴのPVはもはやよくわからない桁にまでブッ飛んだ。
……そして、よりによってそのタイミングで。この記事がとうかされた。
これは言わば、モノマネをしている時に後ろから本人が出てきたような状況だ。「いまさら後には退けない」。俺はそう思った。
そこから先は、サーヴァント紹介記事をひたすら書いてきた。しかし、俺は別に本業を抱えている。そして、ウェブ小説の連載も抱えている。ここ二週間のスケジュールは、詳しくは書けないが、そうとうヤバいことになっていた。しかしおかげで、俺のテキスト生産のうりょくはかなり向上した。
スケジュールとクオリティを天秤にかけて、俺はこの記事連載を一度終わらせることにした。
ものごとには、いつかは終わりが来る。このブロゴで毎日のようにやっているFGOの紹介はあと2回で終わりの予定だが、多分サーヴァント紹介とかはその後も不定期にやると思う。このブロゴの記事をリライトしてFGOのウスイホオンを作るという話も、あったりなかったりする。
俺が、この記事で言いたかったことは、ただひとつ。「ありがとう」その五文字だけだ。